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スウェーデンコラム「瑞筆」

第10回 ソーンメルケに挑戦 前編/本田倫子さん

ソーン・バッジ(ソーンメルケ Zornmärket)というものがある。これはスウェーデン伝統音楽を審査員の前で演奏し、メダルをもらう。アンデシュ・ソーンAnders Zorn(1860-1920)という画家が、自国の伝統文化を守り継承していこうと提案し1910年に始まった。当時は外国から異文化の流入が激しかった頃のことでアンデシュは自国のアイデンティティについて危惧を抱いていたらしい。

このソーン・バッジには、ブロンズディプロム(賞状のみ)、銅メダル、それから銀メダルがある。金メダルは特殊で、社会に貢献もした最高の栄誉として贈られるもので自分からは狙えない。このメダル制は、空手にたとえると、茶帯、黒帯のようなもので競争ではなく、通常は下から順番に(つまりブロンズディプロムから)取っていく。つまり銀メダルをもらうまでに毎回合格したとして最低3回挑戦しないといけない。参加者の3割程度がメダルやディプロムをもらえるという噂はあるが競争でない以上、不確かな情報だ。はっきり言えるのは実力が達していなければ何ももらえない。10年受けて何一つもらえない人がいるという話も聞いたことがある。

ある日、このソーン・バッジが欲しいと思った。楽器のテクニックだけではなく、地方による伝統的な特色(申込書にはどの地方か記入する欄がある)も審査されるこのソーン・バッジで、外国人である私が真剣に取り組んできた結果をスウェーデンで評価されるのか、試してみたかったのだ。

開催地は毎年異なり、私が初めて参加した年はスウェーデン南部スコーネ地方だった。ストックホルムから6時間ほど電車で行き一泊。翌日さらに日に数本のバスに乗りかえ約1時間。バス停から草原の間をてくてくと30分ほど歩いたキャンプ場が会場だった。受付をすますと、早速練習用のコンテナを予約し指慣らしに楽器を弾いてみた。緊張すると思ったような演奏ができなくなるので、“落ち着け〜、落ち着け〜”と自分に言い聞かせていた。用意されていたお菓子や水を飲んでも気は紛れない。どんどん緊張してしまい、日本に国際電話をかけてみたり、軽くその場で駆け足やジャンプをするなどして順番を待っていた。日本人の参加が初めてだと聞いたので、合格でも不合格でも「初めての日本人」なんだと思うと指先が冷たくなり体が硬くなっていく。そうこうするうちに名前が呼ばれ、審査員の待つ部屋へ通された。

顔は笑っていたが内心ドキドキだ。事前に聞いていた通り、正面に審査員が並んで座り、部屋の中央には記録用マイク、そして別のスタッフが部屋の隅にいる。
自己紹介をし、審査員が緊張をほぐすように色々と話しかけてくれた。軽く会話をした後「いつでもどうぞ。」と言われた。私は「サルストレム・ファミリーに伝わる、ムンガローテンの古いバージョンを弾きます」と言い弾き始めた。サルストレム家の人が今日のためにと教えてくれた曲で、あまり知られていない渋めの選曲だ。が、あろうことか、途中でどんな曲だったか忘れてしまった!気をとりなおして「もう一度弾きます」とやり直したがやっぱり思い出せない。ちなみに伝統音楽は伝承音楽、口伝音楽とも言うが曲は楽譜では習わない。何百曲というレパートリーはすべて頭の中にある。耳と体で覚えるからこそ忘れないのだ。なのに!曲が出てこない!「こんなことは始めてです!」と焦る私に「こんな曲でしょ?ラ〜ララ〜♪」なんと審査員が続きを歌ってくれたのだ。そう、そう、その曲!今度こそと再度演奏し始めた。人はパニックになると慌てる人と開きなおる人がいるが、私は後者だったみたい。そのハプニングですっかり肩の力が抜け、残りの数曲も含め最高の演奏ができた。

終了後、今日の演奏には自信があるものの、何せメロディを忘れて助けてもらったからなぁ…と結果については全く想像ができなかった。全員の審査が終わり、夕方、張り出された紙の中に自分の名前を探すと・・・あった!しばらく夢の中のような感じがして呆然とつったっていたようだ。見ず知らずの人に「どう?名前あった?」と聞かれ「あった・・・」とぼんやり答えると、「嬉しくないの!?」と言われふと我に返った。「うれしい!」その人と抱き合って喜んでしまった。部屋から出てきた審査員やその他見知らぬ人達からも口々に「オメデトウ!」と言われ、思わずうれし涙がこぼれた。

結果発表に集まる人垣の中に知人を発見した。一度会っただけだが、彼女はすごく演奏が上手くて強烈な印象が残っている。すると彼女も私を見つけ話しかけてきた。彼女は今年銀メダルを狙っていたらしい。「結果どうだった?」と聞かれ「受かったよ!あなたは?」と私。すると突然笑顔が消え顔をそむけ「だめだった」と吐くようにそれだけ言うとその場を走り去ってしまった。受かる人もいれば不合格の人もいる。当たり前だが妙にしんみりした気持ちになった。今でもあの表情が忘れられない。それだけ真剣だったんだ。きっといつか報われる、と思った。

帰りは、肩の荷も降りてほっとした気分で寝台列車でストックホルムまで戻った。電車に乗りこみチケット番号のコンパートメントに入ると私は3段ベッドの一番上だった。見上げる高さだ。目がくらむ。しかも人が一人やっと寝られるスペースだ。それなのにベッドのハシゴ側には柵がなくロープ一本。命綱だな、これは。しかも楽器を置くスペースが無い。仕方がないので無理やり楽器と並んで横になった。もちろん私がハシゴ側だ。残り数センチも余裕がなく、寝返りをうてば真っ逆さまに落ちてしまう。楽器が落ちたら洒落にならない。かといって私が落ちても洒落にならない。ほっとしたのも束の間、割り箸のように真っ直ぐに寝ると命綱のロープに腕をからめて必死で電車の揺れに耐えた苦痛の一夜となった。(つづく)

*アンデシュ・ソーンが、地方色豊かな伝統音楽の演奏に対して、競争で優劣をつけるのはおかしいと異議を唱え現在のシステムになった。

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Columnist Profile
本田倫子さん
福岡県出身、奈良県在住。ニッケルハルパ奏者。
スウェーデン各地の伝承音楽を多くの著名プレーヤーから学ぶ。 2006年、国立民族音楽センターでもあるEric Sahlström Institutet、ニッケルハルパ演奏課に留学。また、エスビョン・ホグマルク氏より楽器の伝統等について学ぶ。 Zornmärketにて、2007年、2008年参加。それぞれディプロム賞、銅メダルを獲得。 ソロやスウェーデンとノルウェイの音楽を演奏するデュオ、“fiss”にて活動。


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