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スウェーデンコラム「瑞筆」

第1回 ヴァールマン家の夏至の祭り/遠藤能範さん

 男たちが荷車にこんもりとナラの枝葉を積んで戻ってきたのは、女たちが両手いっぱいの野花を摘んできて間もなくだった。双子の娘のぐずりに付き合って、遅れてヴァールマン家に到着したぼくたち家族は、留守番をしていたアンナのお母さんとみんなの帰りを待っていた。お陽様はあっけらかんと黄色に照っていて、地上は取り憑かれたように緑色にざわめいていた。

 アンナ、ニルス、マティーアス、セリーナの学友たちと抱擁を交わす。ひと夏前に母校の庭で再会して以来だ。アンナのお父さんは相変わらずの穏やかな目尻で歓迎してくれ、アンナとよく似たギリシャ彫刻のような顔立ちのお兄さんとその友人達も眩しさと笑顔の入り混じった顔で挨拶してくれる。若い男女の5、6名の一団はスペインの建築関係の留学生達で、夏休みの間裏手の空き家に共同で住んでいるのだそうだ。アンナのお父さんが建築関係の仕事をされているので、その伝手だろうか。いずれにしてもこの美しい農村でひと夏を過ごすなんてなんとも羨ましい限りだ。

 マイストング作りのイニシアティヴをとるのはお母さんだ。長さ4mほどの十字の支柱にナラの枝葉を纏(まと)わせる彼女は、顔つきも手つきもテキパキとしていている。

 スペインの学生たちはぜんまい式の蓄音機で古いジャズを流している。時々マティーアスがギターを鳴らす。学生時代から彼は鑿(のみ)もギターも似会う男だった。

 十字を一通り緑で着飾ると、てっぺんと両腕の先に渡した紐にも葉っぱを絡め、最後にアンナ主導で作られた大きな花輪がひとつずつ、両腕から吊り下げられると、お父さんとお兄さんが庭の真ん中に掘った穴に突き立てた。ナラの葉がさやさやと踊る。夏の空気を結晶化したらきっとこんな形なんじゃないだろうか。

 マティーアスが楽器をアコーディオンに持ち替えた。ぼくらはマイストングを囲んで輪になり、歌い、踊る。アンナやお母さんが探るように出だしを口ずさみ、彼がそれに答えるように奏でる。そうしてぼくらはひとしきり踊る。手をつなぎ、まわり、スキップし、かがみ、手を叩く。

 子供を抱きながら踊っていたぼくら夫婦はさすがに息を切らし、数曲したところでその輪から抜けて地べたに腰を下ろした。逆光の中踊る彼らの頭に傾いた太陽が見え隠れする。その瞬間、夏は彼らのために存在していた。

 しばらくしてお母さんの手料理がテラスに用意されると、ぼくらはほどよく汗ばんだ身体で食卓についた。ハッとするほど美味しい、こんなことは特にスウェーデン料理においてはめずらしい。特に盛付けや味の演出が華やかと言うわけではないが、今のこの陽気のように心地よく口に広がり、やがて素材の力と作り手の技を実感させられる。鰊の酢漬けがこんなにも美味しく成り得るものだということを驚愕をもって知る。

 食卓だけでなくテラス全体が花や葉っぱで飾られている。まるで周りの緑と同化しているかのようだ。そして、橙がかった陽光が全てに分け隔てなく届く。
スコール! 歌って乾杯し、しゃべっては乾杯する。お父さんがぼくら家族のためにも乾杯の音頭をとってくれる。スコ 〜 〜 ル!

 散歩に出る。娘たちはとっくに寝付いているべき時間だったけど、こんな時ぐらい良いではないか。足手まといだがベビーカー二台もお供させていただこう。

 Kalmar(カルマル)県北部の港町Oskarshamn(オスカスハームンから内陸に十数kmに位置するこの辺りの集落はスウェーデンの一つの原風景を今に残すことで知られている。Fägata(フェガータ)と呼ばれる林間の農道を歩きながら、お父さんは皺の奥にそうっと納まっている目と、髪と同じ灰色で同じくらいに短めの髭の間に潜んでいる口で、語り部となってくれた。

 荷馬車が二台すれ違える程度の幅で、平行に並ぶ二列の柵が農道を縁取り、それはこの土地の開拓の軌跡をなぞるように地面の起伏に合わせて波打っている。おおよそ垂直で等間隔に並ぶ柵の柱は、枝を払って樹皮を粗く剥いだだけの木で作られており、多少不揃いながら、だいたい背丈ほどの二本の棒から成る。太さは腕くらいだろうか。その二本の間に4〜5mの横棒を挟んで積み重ねるのだが水平ではなく、一端を地に付けてもう一端を10〜15°ほど斜めに立ち上げた状態にする。そうすると地面の起伏を考える必要がないのだ。専らその柱にはセイヨウネズ、横棒にはモミの木を用いる。共にスウェーデンに広く分布し、古来人々の生活に深く関わってきた木だ。セイヨウネズは強靭で耐久性に富み、モミは通直に育ち、切削加工性の良い木である。枝を払っただけの木は風雪から朴訥(ぼくとつ)とした力強さと美しさが与えられる。きっと農民の手がそうであるように。

 ここSmålannd(スモーランド)地方は岩盤質の台地状森林地帯に覆われ、もともと農業には向かない土地だった。森を細々と伐り開き、蟻の巣のようにFägata(フェガータ)を這わせた。その風景の美しさに、ぼくの鼓動が早まるのを感じ、なのに心はやけに静まるのだった。

 貧しい農業生産と厳しく長い冬がこの国に「ものづくり」の精神を育てたという定説は、この地方に顕著に現れている。国際的に知られる家具やガラスの産地はスモーランドに集中しているのだ。

 アンナのお父さんは元々クロアチアの出だが、奥さんと共にこの地区の景観を保存する組合の中心となって働いている。

 さっきまで光を受けて輝いていた森は、今は闇の根源であるかのように率先して群青めいていた。農道を逸(そ)れてその懐へ歩みを進める。根を踏む。苔を踏む。皆が交代で駕籠屋(かごや)のように二台のベビーカーを運んでくれる。幼い姫君たちはすでにご就寝である。如何ほど歩いたのだろうか。清々しい疲労感と、程よく湿った森の空気が身に纏(まと)わりつく。


 一番日が長いという夏至にすんなり寝てしまうのはもったいない。あと一時間余りで日付が変わるような時刻だったけど、ぼくたちはコーヒーとチョコレートと談笑で日没を惜しんだ。こぎれいに改装してあるこのお宅は、ところどころに古びた地肌を残してあり、数世代を超えてきた威厳を保っている。そして18世紀と20世紀の家具が当然のように共生する居間は、おもてと歩調を合わせるように照明を心地よく絞ってある。その中で様々な文化のバックグラウンドを持ったぼくたちは、明らかに同一の至福を共有していた。
全ては調和の中にあった。

 ふと会話が途切れると、誰の口からともなく夏至の晩の決まり文句がこぼれ落ちる。「あぁ、明日から日が短くなるね。」
この言葉がぼくの胸に届く深さは年々増している。

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Columnist Profile
遠藤能範さん
茨城県出身。木工家具職人。
国立高岡短期大学産業造形学科木材工芸専攻及び同大学専攻科産業造形専攻において木材工芸の基礎を学び、特に家具指物(※1)に興味を持つ。1999年に渡端し、造形学校Capellagården(カペラゴーデン)家具指物科にて同分野の技能を深める。三年間の学業の修了とともにスウェーデンマイスター制度におけるgesäll(職人)資格を取得。
卒業後、家具工房WORKS.に勤務し、家具指物マイスターPeter Hellqvist氏に師事。この間半年程パイプオルガン工房Akerman & Lund orgelbyggeri ABに出向する。また、その後は家具製作会社AB Karl Andersson & Sonerに勤務、伝統ある良質量産家具の生産現場で家具職人としての修行を重ね、2006年末に帰国。現在家具工房設立の可能性を模索中。
参加展覧会として、ストックホルム国際家具見本市内カペラゴーデン展覧会の他、「Carl Malmsten med efterföljare」(カール・マルムステンと後継者達展)がある。

※1 木質部材に接合するための仕掛けを施し、組み立ててできた物品。またはその技法。


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