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スウェーデンコラム「瑞筆」

第3回 心材/遠藤能範さん

 両親念願の北欧旅行。スウェーデン最大の街ストックホルムでの見学地に、迷った挙句に組み込んだのがドロットニングホルム城である。それまでぼく自身訪れたことがなかったのだけれど、王家の現在の居城だし、世界遺産にも登録されている。さらに、本場イタリアで建築を学び、17世紀のスウェーデンの建築芸術に多大な影響を与えたテッスィン父子の設計だというではないか。中世は旧市街、近代は市庁舎に任せるとして、近世の代表となっていただくにふさわしいに違いない。
 ところが、である。想像を絶しない程度の大規模さも、ゴージャスさを抑えた外観も予想内のスウェーデンらしさとして、多少は期待していた内装がなんともキッチュな空気に包まれているのである。

 褒め言葉を探しあぐねている両親に、ぼくは必死に弁護の論を展開する。
「北欧の国々は20世紀初頭のナショナルロマン主義に至るまで、ヨーロッパの二流、あるいは亜流国としてのコンプレックスが強かったと思うんだよね。第一、欧州文明の中心地の流行を追ってみたところで、その素材となる大理石や御影石なんかは入手困難だったと思うんだ。そこで漆喰や木材を塗装してそれらの石を模造したんだよ。教会建築を見ても盛んに行われていた技法だということはよくわかる。ちなみにこの技法を、大理石の意のmarmor (マルモル)からマルモレーリングっていうんだよ。
 家具材にしてもそう。マホガニーやウォールナット、あるいは特殊な杢などの高級材はもちろんのこと、ナラにしたって船舶のためには植林していただろうけど、インテリアや家具にはあまり回って来なかったんじゃないかな。だからマツやシラカバ、ハンノキなど身近でたくさん採れる木で作って、表面に高級材のイミテーションを描いたんだ。そして国力の向上と物流の発達とともに上流階級に本物が行き渡るようになってくると、この技法は農民文化の中で生き続けることになるんだ。」
 両親にとってもスウェーデン文化の一端を見ることができて良かったのかもしれない。ナショナルロマン主義の名建築、ストックホルム市庁舎への良い前置きともなったといえる。


マルモレーリングの例。これはチェストの天板で、
まるで大理石のように見えるが、心材はマツ。

 ところで、一口に北欧といっても当然のことながら一緒くたにできるものではない。分類の仕方は様々あると思うが、例えば、ひとつの線を海峡に引くことができる。
 昨夏にデンマークへ友人を訪ねた。コペンハーゲン及びその近郊へは何度か足を運んだことがあったが、今回は三つの大きな橋を渡って大陸から突き出たユトランド半島まで行った。海を越えたこの旅で、ぼくは以前から考えていたことを肉眼で確認した。デンマークには森らしい森がほとんど無いのである。友人宅の地図帳にあった航空写真を見たら、案の定国土のほとんどが畑のパッチワークで納得した。ここは異国だ、と改めて思った。
 この事実は当然のことながら一般民家に顕著な影響を与えている。大雑把に言うと、スカンジナビア半島及びフィンランドでは木造のパネル構造が体勢を占め、地方により板倉造や校倉造が今でも見られる。これに対しデンマークでは専ら木組み造りか煉瓦造りかなのだ。外壁をすっかり漆喰で覆っている家屋も多い。木組みというのは、木造の柱と梁の間を漆喰または粘土壁で埋めているものである。壁の芯は煉瓦または藁や柳などの植物性素材を編んだものだ。


「デンマーク民家」

 ちなみに海峡できっぱり白黒分れるわけでもない。スモーランド地方北端に位置する我が家から南へ車を走らせると、しばらく怒涛の森林地帯を貫き、やがてスウェーデン南端部に近づくにつれ森は斑になり、代わりに耕作地が広がり、デンマーク化していく。南端のスコーネ地方は今も昔もスウェーデンの麦倉だし、煉瓦生産の先駆を担ってきた。
 スウェーデンで煉瓦建築文化が全国的かつ一般民衆にまで浸透したのは20世紀のことだと言われている。そして50〜70年代初めの大規模な都市開発の中で、高層集合住宅はしばしば黄や赤の煉瓦で染められた。その後木造の価値は、前時代への反動と建築の多様化、そして多層木造建築を認める建築法の改正を経て、改めて見直されていくことになる。

 さて、スウェーデンの木造民家といえば、赤い。Faluröd(ファールー赤)と呼ばれる塗料は、元来ダーラナ地方のファールー銅山から産出された鉱石の残存物を原料とし、銅の他に酸化鉄、酸化ケイ素、亜鉛などの鉱物を含んでいる。起源は16世紀に遡り、木材の防腐効果があるとされるのだが、実はこの塗料、特に18世紀に都市部の比較的裕福な層で赤煉瓦のイミテーションとして流行したのである。それが全国津々浦々に広まり、やがてより高価な黄色の塗料がステータスシンボルとなると、むしろ農村部に馴染み、今ではすっかりスウェーデンの原風景を担うまでになってしまった。


「スウェーデン民家」

 ファールー赤がスウェーデンの精神にまで染み渡り、もはや望郷のシンボルとさえなりえたのは、元々そこに模造の枠を超越した美を内包していたからではないだろうか。鉱物が織り成す粗野で重厚な赤褐色は、朝露に夕暮に月夜に雪の光に、無口で、しかし力強い輝きを湛える。
 そして何より、マルモレーリングが心材を否定することで成り立っているのに対し、ファールー赤は木材の風合いとともに生きている。

 いつだったか、父が日本から荷物を送ってくれたことがある。容積の三割を司馬遼太郎氏の本が占めていた。その数々の珠玉の歴史小説にまぎれて、一冊の対談集があった。
 その一節で氏が以下のような趣旨の意見を述べられていたように記憶している。
「日本人が陶器の釉薬に美を見出しえたのは、中国のようには宝石が産出されなかったからではないだろうか」。

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Columnist Profile
遠藤能範さん
茨城県出身。木工家具職人。
国立高岡短期大学産業造形学科木材工芸専攻及び同大学専攻科産業造形専攻において木材工芸の基礎を学び、特に家具指物(※1)に興味を持つ。1999年に渡端し、造形学校Capellagården(カペラゴーデン)家具指物科にて同分野の技能を深める。三年間の学業の修了とともにスウェーデンマイスター制度におけるgesäll(職人)資格を取得。
卒業後、家具工房WORKS.に勤務し、家具指物マイスターPeter Hellqvist氏に師事。この間半年程パイプオルガン工房Akerman & Lund orgelbyggeri ABに出向する。また、その後は家具製作会社AB Karl Andersson & Sonerに勤務、伝統ある良質量産家具の生産現場で家具職人としての修行を重ね、2006年末に帰国。現在家具工房設立の可能性を模索中。
参加展覧会として、ストックホルム国際家具見本市内カペラゴーデン展覧会の他、「Carl Malmsten med efterföljare」(カール・マルムステンと後継者達展)がある。

※1 木質部材に接合するための仕掛けを施し、組み立ててできた物品。またはその技法。


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