スウェーデンコラム「瑞筆」

Column 島田 晶夫さん

11. 久しぶりのスウェーデン その3 デンマークからオーストリアへ

 ウェーランド島で友人たちや学校の恩師と楽しく過ごし、また式も無事に終えることができ、僕達はホッとした気持ちで島を後にした。
知人から車を借りることができ、カルマルからアルベスタまでガラスの工房を訪ねたりしながらのんびりドライブをした。このあたりは「ガラスの王国」と呼ばれるほど有名なガラス工房が多く、コスタやボーダなど、街の名前とブランドの名前が同じところも多い。
 アルベスタの知人の家に3日間ほど滞在させてもらい、そこから列車に乗って一気にデンマーク、コペンハーゲンまで行く予定である。知人の家では小さなパーティを開いてもらったり、産まれたばかりの子猫(日本の猫と全然変わらないヨモギ猫だった)と遊んだりして、のんびりさせていただく。
 ところで、スウェーデンに着いた時には35℃と言う猛烈な暑さだったにも関わらず、アルベスタに着いたあたりからすっかり肌寒い日が続くようになってしまった。テレビの天気予報では「非常に強い寒波が近づいています」と言っていた。真夏の寒波とはいかなるものかと訝しく思われる方もいらっしゃるかもしれないが、寒波は寒波であって、冬のそれと同じである。あれよあれよという間に気温は15℃も下がり、この後コペンハーゲンでは実際吐く息が白い日もあったくらいだ。
 僕は一応4年暮らしていた経験から、天気の急変や、気温の温度差の激しさも考慮し、念のためフリースやウィンドブレーカーなどをもってきていたから良かったけれど、これを知らずに来た人はとっては悲劇としか言えないくらいの寒さである。
 街では革ジャンや冬に着るような厚手の上着を着ている人までいて、季節不明の状態になっていた。僕はいつも思うのだが、北欧では「衣替え」という言葉は存在しないのではないだろうか?真夏でも寒いと思えば毛糸のセーターを着ている人もいるし、逆に雪の残る春先でもちょっと日差しの強い日にはTシャツで歩く人もいる。きっとクローゼットの中にはフルシーズンの服がいつでも着られるようにスタンバイしているのだろう。

 さて、アルベスタからコペンハーゲンまでは、IC(インターシティ)で約3時間半の距離にある。以前はデンマークにフェリーでしか行き来できなかったのだが、2000年7月に開通したオーレンス大橋のおかげで、列車で簡単に行けるようになっていた。これは大変に便利である。
 このオーレンス大橋はスウェーデンからデンマーク国境までが海上にかかる橋であり、国境からデンマークまでは海底トンネルになっている。なぜこんな事になっているかと言うと、両国の協議で、スウェーデンは橋のほうがよいと主張し、デンマークはトンネルが良いと主張したため両者譲らず、(結構長く協議はしたと思うのだが)結果、それぞれの国が橋とトンネルを作り、真ん中でくっつけることにしたのである。面白い話ではあるが、かなり微妙な話でもある。
 実際橋からトンネルに列車が滑り込むときには大工事だったんだろうなーと思わずにいられなかった。作業する人はさぞ大変だったのではないだろうかと想像する。

 ところで話がそれてしまうのだが、デンマークはスウェーデンと一番近いところで5kmの距離である。国が違うので、当然色々と異なる点が多いのだが、話す言葉はとても近いものがある。(書く方は異なる文字があるため、そっくり同じではない)これは僕の勝手な意見であるが、例えばスウェーデン語を標準語とすると、デンマーク語は関西弁、ノルウェー語は津軽弁、という感じであり、お互いなんとなく何を言っているのか理解できることが多い。フィンランドだけ、まったく違う言語をしゃべっているのだが、聞いた話しによると、フィンランド人は小学校からスウェーデン語を習っているので、大抵の人がスウェーデン語を話せるそうである。
 そう考えると、スウェーデン語(デンマーク語でもノルウェー語でも良いのだが)一つ覚えれば北欧では言葉に困らないということになる。実際はそう上手くはいかないけれど、一つの言葉で4カ国いけるというのはなかなかお得かもしれない。

 さて、コペンハーゲンはヴァカンスシーズンの真っ最中で、街には大勢の観光客が買い物をしたり、大道芸人のまわりで拍手を送ったりしていた。様子を伺っていると、アメリカやらカナダといった国からも観光に来ている人が多いようだった。
 僕は何度か訪れたことがあるので、今回はまだ行ったことがないチボリ公園や、お決まりの人魚の像を見学し、デザイン関連の博物館を廻るという予定でいた。
 街並みも美しく、文具を売っている店からアンティーク家具の店まで心惹かれる店もたくさんあって、長く滞在しても飽きない街である。
 唯一問題があるとすると、それは物価の高さだろう。スウェーデンも消費税が21~25%で、ものの値段は結構高いと思う。しかし、このデンマークの消費税25%に加え、コペンハーゲンの物価高には正直舌を巻いた。その辺の売店でもコーラのMサイズが800円位はする。軽くランチでも、と思ってもサンドウィッチとサラダとコーヒーで3,000円は軽く超えそうな勢いである。
 極めつけがホテルで、中央駅から歩いて5分の中級ホテルに泊まったのだが、ツインが一部屋で14,000円くらい。バス、トイレなし(なし!なのだ)。フロアに共用のものが一つづつあるだけ。部屋の広さも4畳半よりちょっと広い位で、寝返りのうてそうも無い狭いベットが二つ部屋の両脇についていた。
 このヴァカンスシーズンで、予約も何も無く飛び込みで入っている僕たちに文句を言う資格は無いと思うのだが、これにはちょっと参ってしまった。しかし、空いている部屋はこのタイプだけだと言うので、仕方なくそこに決め、まぁ、駅も近いしねなどと慰めあいながら居たのだが、夜中に配水管から水が漏れ出して、フロントに文句を言いに行くと、部屋を替えてくれるという。いわゆる隠し部屋というやつだ。
 時計はもう夜中の1:00を廻っていて、あたふたと荷物を詰めなおし、移動した部屋はものすごくデラックスな部屋だった。大きなダブルベットに応接セットまであり、オーディオも高そうである。バスルームなど、大理石の床に大きなバスタブという代物だ。しかし、それなのに僕達はすっかりくたびれてしまっていて、このデラックスさを満喫することも無くただただ一刻も早く眠りにつくので精一杯であった。
 翌朝、漏水は直しておくのでもとの部屋に戻るよういわれ、よっぽどこのデラックス部屋に変えてもらおうかと思ったのだが、フロントのおじさんは「ラッキーだったな、あの部屋、パラダイスだったろ?」と満面の笑みで嬉しそうに言うのである。ついに「いくらですか?」と聞けずじまいで、3倍か4倍か?と今でも非常に気になることの一つである。

 この後、僕達は旅行の最後の目的地である、オーストリアのインスブルックという町に向かった。ここは僕の奥さんが以前に滞在したことがある街で、今回せっかくなので自分も当時の友達に会いたい、ということではるばるとコペンハーゲンから飛行機で飛んだのだった。
 インスブルックはチロルの山々に囲まれたこじんまりとしたかわいい街である。イタリア・スイス・ドイツへの交通の要所として、昔から栄えている歴史のある街で、オリンピック開催地としても有名だ。
 物価の話ばかりで恐縮だが、オーストリアは消費税が10%、現在の通過はユーロである。ここに来て何より嬉しかったのは物価が日本と同じくらいであるということだった。現地の人はユーロになって何でも高くなったというけれど、それでもコーラは150円位だったし、ホテルなんて大きなダブルベットに、バスタブつきの広いバスルームがあって、クローゼットも大きいのがついていて、それで1拍一部屋7,000円位である。建物は古く、床もぎしぎし言ったが、文句なんて何も無い。
 今回僕は初めてここに行ってきたのだが、スウェーデン、デンマークと平坦な国を旅行してきた後と言うこともあって、この峻険な山あいにある街というのは、軽い衝撃であった。
飛行機で飛んでいるときも(国際線だというのにプロペラ機だったし)、なんかすごいところに連れてこられちゃったな、こんな山の頂上から見える景色ってどんなもんだろう、登れるわけないよな・・・などと僕は思っていたのだ。
 だが結局、登山経験のない僕がしどろもどろに断ろうとしているのにはお構いなく、「街よりも絶対楽しいから!」と友人たちにイタリアとの国境に接しているオーベルンベルグ(2,300m)と言う山に連れて行かれ、登山する羽目になってしまったのだった。
 ようやくの思いで登ってみると、ここの頂上には柵があって、「それを超えたらイタリアだよ」と言われ、僕は思いがけなく4カ国目に足を踏み入れることになった。これは結構感動だった。
「頂上へ上ると、そこは隣国だった・・・」と何だか文学的に(?)しみじみと感慨深く思ったりした。

 こうして、16日間に8回も飛行機に乗った今回の旅行も無事に終わり、新千歳空港に着いたときには、もうしばらく飛行機はいい、とさえ思ったが、こうして今思い出しながら文章を書いていると、またすぐにでも旅行に行きたいなーという気持ちでいっぱいになる。
今度は一箇所にのんびりと滞在するような旅行にしたいとつくづく思うけれど……。

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島田晶夫さん

1971年北海道苫小牧市生まれ。
1995年国立高岡短期大学産業工芸学科木材工芸専攻(富山県)卒業後、(財)スウェーデン交流センター(当別町)木材工芸工房の研修員として在籍。 1997年スウェーデン・カペラゴーデン手工芸学校 家具&インテリア科に留学、2000年スウェーデン・OLBY DESIGN(株)入社。 2001年帰国しDESIGN STUDIO SHIMADA設立とともに(財)スウェーデン交流センター木材工芸工房主任研修員として活躍中。 展覧会として、2002年第15北の生活産業デザインコンペティション入選・個展ギャラリーたぴお(札幌)、2003年グループ展(三越倉敷支店)、2004年2人展コンチネンタルギャラリー(札幌)、暮らしの中の木の椅子展入選。

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