Column 遠藤 能範さん
その秋、妻は憂鬱で、ぼくは空腹だった。
スウェーデンでは妊娠第18週まで超音波検診がなく、当時ぼくらは双子が宿っていることを知りえもしなかった。重すぎるつわりは彼女の精神にまで達し、週数のわりに大きすぎるおなかは不安とともに膨張し続けていた。
診療所に電話で相談すると返答はいつも同じだった。「もし悪化したらまた電話してください」。返す言葉を失って、代わりにおなかが鳴った。つわりに付き合い、粗食が続いていた。
そこはちいさな町だった。卒業とともに結婚、ぼくの就職が決まって最初に移り住んだ町で、ぼくらはちいさな団地の一階にちいさな部屋を借りていた。
ある土曜日の午後に窓の外を眺めたら、大気は無表情に灰色で、時間さえ停滞しているみたいだった。幾日も前から全く同じ雲が空を覆っているんじないかと思った。 団地に沿う楓の並木は、すっかり枯れているのに、まだほとんど散っていなかった。
次の瞬間、それは突如起こった。一本の楓が樹冠から一気に崩れ落ちたのだ。いや、もちろん葉っぱが散っただけだったのだけど、まるでそんな風だった。ベッドで休んでいた妻を呼び寄せると、ふたりの目前で次々に楓が崩れていった。劇的な変化が起こっている時こそ、世界は静止しているように思えるのだった。そのときぼくらは、季節は一瞬で変わりうるということを知った。
そして暗く厳しい冬が始まった。
思えば、季節はしばしば人為的に一変させられる。例えば、それはクリスマスの4週前の日曜日に起こる。この日一斉に家々の玄関がリースで飾られ、窓が蝋燭と星で彩られるのだ。蝋燭型の電飾は7本や9本が横一列に並んでなだらかな山を描き、その上で両手を広げたくらいの紙製の星がやわらかな光を湛(たた)える。特に蝋燭は欠かせぬもので、これが各窓に連なる光景はスウェーデンののどかで粛々としたクリスマスの象徴と言える。そして食卓では生の蝋燭が4本立ち、一本目が灯る。こうしてadvent(アドヴェント・降臨祭)は始まるのだ。一週間ごとに点灯する本数が増え、クリスマス前の最後の日曜日には4つの灯火になる。
暗い冬のど真ん中にやってくるクリスマスは、北欧の人々にとってこそありがたいお祭りかもしれない。その飾りつけの要素は光と緑、それらはともにその時節に思い焦がれるもの。けれどあくまで装飾はほどほどに。この国の人たちは冬の暗ささえ味わう術を知っているらしい。
渡端後初めての冬、通っていた学校で蝋燭作りとリース作りを体験した。降臨祭の始まる直前の金曜日のことだった。夕食後のひととき、工房での作業の手を止めて再び食堂に向かうと、調理場では大鍋が溶けた蝋で満たされ、その周りで学友達が控えめな盆踊りでもしているかのように楕円形を描いてゆっくりと歩き回っていた。早速芯となる糸を手に取り、その輪に加わってみた。順繰りに糸を蝋の風呂につけては冷まし、つけては冷ます。その造形はすっかり地球の引力に任せる。そして、やがてやすらかな形が出来上がるのだった。
一方、ほの暗い食堂では山と積まれた西洋杜松(せいようねず)のとげとげした影が暖炉の火に揺らめいていた。先生達がそこいらで採ってきてくれたものだった。その短く硬い針葉は剣山のようで、革の手袋なしではとても太刀打ちできるものではない。なんでまたこんな素材を使うんだろうと思ったら、答えは簡単だった。この辺りでこの時季に青々としているものといったら限られているのだ。樅の木のクリスマスツリーにしたってきっと同じこと。仮に白樺が常緑樹だったら白樺でクリスマスを祝ったんじゃないだろうか。いや、でもあんな爽やかに薫風にそよぐような葉っぱはやっぱりだめか。薄明かりの中で厳かにたたずむ深い緑の針葉こそがクリスマスにはふさわしいに違いない。
何度か友人宅のクリスマスに招待されたことがある。いずれのお宅でも装飾の主役は生の光と生の緑だった。取りをつとめるのはもちろん樅の木。その空間で執り行われる家族の祭りはまるで日本の正月のようだった。
その日は空気が特別に新鮮で、それでいて心地よく肌になじみ、皆いつもより少し背筋を伸ばして食卓に集う。そして各々が家族の一年を想う。伝統料理は種類豊富でご馳走ぞろい。けれど保存の効くものは特に味が濃いので、3日目には半ばうんざりしながら口に運ぶことになる。テレビでは毎年代わり映えのない平和な特番が流れ、それをただただ平和な気持ちで眺める。夫婦の間ではお互いが育った家族のクリスマスの微妙な違いが話題に持ち上がり、やがて新しい家族の伝統を重ねていく。
娘達が2歳半を過ぎた冬、ぼくらは初めて家族だけのクリスマスらしいクリスマスを過ごした。そこは4番目に移り住んだ土地で、大きな湖を見下ろせる大きな団地だった。越して1年、入居時に張られた壁紙もしっくりなじみ、子供達はすっかり幼稚園生活を満喫していた。食卓の燭台にはすでに3つ目の灯が燈り、クリスマスの市場に足を運んで伝統料理の食材も揃え始めていた。
その日仕事から帰ると、居間に樅の木が立っていた。妻が自分の身の丈よりも大きいのを買って来ていたのだった。車を持っていなかったから、ショッピングセンターからバスに乗って運んだという。専用ネットで細身になるとはいえ、妻の健闘に感服した。
樅の葉と同じ色に着色された金属製の脚付き鉢とその下に敷く生成りの粗い麻布、そして各種の飾りは数年越しで古物屋で買いためておいた。飾りの内訳は、ワラ細工の星や天使や山羊、木製の鳥や機関車や飛行機、赤い糸で編んだ手さげ袋やハート、それに娘達が幼稚園で作ってきたジンジャークッキーを模した粘土細工などだ。それらはどれも深い緑に映えた。特にワラは樅を背景にすると、ほのかに黄金色になるのだった。
娘達も飾り付けをしたいとねだる。交互に繰り返される真剣な沈黙と歓喜の声。彼女達に任せておいたら当然の結果として下の枝ばかり賑やかになるので、調整させていただく。そして仕上げに4人分のプレゼントの包みを麻布の上に添える。そうして完成した4人合作のツリーをしばらく眺めていたら、なんだか家族が板についてきた気がした。
クリスマス飾りはクリスマス20日目、すなわち1月13日に一斉に姿を消すことになる。つまり7週間もの間我々を楽しませてくれるのだ。これはスウェーデンとフィンランド及びノルウェイの一部で見られる風習だそうで、他のキリスト教国より一週間延長されている。北の人のささやかな欲に心より共感する。
その頃になると樅の葉はすっかり乾いてしまい、触れるだけでぱらぱらと崩れ落ちる。麻布にみるみる針葉が降り積もる。そしてそれが積雪の増す合図となる。
茨城県出身。木工家具職人。
国立高岡短期大学産業造形学科木材工芸専攻及び同大学専攻科産業造形専攻において木材工芸の基礎を学び、特に家具指物(※1)に興味を持つ。1999年に渡端し、造形学校Capellagården(カペラゴーデン)家具指物科にて同分野の技能を深める。三年間の学業の修了とともにスウェーデンマイスター制度におけるgesäll(職人)資格を取得。
卒業後、家具工房WORKS.に勤務し、家具指物マイスターPeter Hellqvist氏に師事。この間半年程パイプオルガン工房Akerman & Lund orgelbyggeri ABに出向する。また、その後は家具製作会社AB Karl Andersson & Sonerに勤務、伝統ある良質量産家具の生産現場で家具職人としての修行を重ね、2006年末に帰国。現在家具工房設立の可能性を模索中。
参加展覧会として、ストックホルム国際家具見本市内カペラゴーデン展覧会の他、「Carl Malmsten med efterföljare」(カール・マルムステンと後継者達展)がある。
※1 木質部材に接合するための仕掛けを施し、組み立ててできた物品。またはその技法。